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八丈小島を上から見る 

八丈富士の裏側に回るともうひとつの展望台があります。

(アロエ畑辺り)一方通行の矢印あります。

そこの展望台から見る八丈小島。(写真は秋に撮影)

誰もいなくなった小島ですが、生活の不便性から、

1969年にこちらの八丈島本島へ全島民が引き上げてきた歴史があります。

その後、残されたヤギが大繁殖して木々が食べつくされ、結果、崖崩れが起こり、

土砂が海へと流れ落ちて漁場を荒らすことになってしまいました。

ヤギの捕獲作戦が始まって八丈島本島に持ってくることになり、

20年ほどたった今では緑が戻って静かに佇んでいます。

実は、私の父が生まれた島でもあります。

早い段階で親戚を伴い、総出で若いうちにこちらの島にやって来たので、

本島で生まれた私たち兄弟姉妹は小島の生活を知りません。

そんな私たちが一度だけ、親戚を募って、誰もいないこの小島に遊びに行ったことがあります。

父方の親戚たちはいろいろな思いと懐かしさで感無量だったかと想像できます。

そしてそれが最後の訪問になりました。私ももう行くことはありません。

 

 

そして、昨年、この八丈小島を飛行機の中から撮影したものが⇩こちらです。

 

 

 

 35年ほど前に手前側の平地側から上陸して、まる1日、日帰りで遊んだ記憶があります。

この小さな島にその昔は150人ほどが暮らしていて、

鳥打と宇津木にそれぞれ2つの小中学校があったようです。

私たちが上陸したときには、廃校になった学校がボロボロになっていて、

ヤギのフンで床がびっしり埋め尽くされていたもんです。

ここに赴任してきた学校の先生たちも大変だったかもしれませんが、

純粋な子供たちの無邪気さと可愛らしさに一生の思い出になったと、回顧録を残した先生もいました。その本の中に私の親戚の女の子が登場したので嬉しく思いました。(゚∀゚) 

 

先日、八丈島からさらに南に位置するもうひとつの島、

青ヶ島に教員として住んでいた方が我が家を訪れましたが、

やはり子供たちの自然界にある生き物を使ったいたずらに振り回されたけど、

それが楽しい思い出だと楽しく語って帰られました。

遊ぶものも何もないほど人と人との絆が深まるかもしれません。

こちらの青ヶ島にも私の叔父も終生、教員として身を捧げました。

 

 

 

 <八丈小島参考記事 Wikipedia>

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E4%B8%88%E5%B0%8F%E5%B3%B6 

 

 

 

この八丈小島のまさに真上を飛んだこともありましたが、

航空局にアルバイトしてた時にセスナ機に乗せてもらった時だったか思い出せません。

飛行機がYSプロペラ機からジェット機に切り替わる式典で、

ジェットの初就航を記念して、

招待客と一緒させて頂き、遊覧飛行状態で帰ってきた事もありました。

通常の飛行機で、パイロットの機転でいい天気にこの上を回ることもあります。

私って、福岡路線に乗った時も、客室乗務員のお姉様が私だけにそっと声かけてきて、

駿河の本物の富士山の真上を見れる場所に案内してもらったラッキーな人間なんです。(^O^)/

 

頻繁に八丈島~羽田間の飛行機に乗ると、

2000年の三宅島の噴火の時の噴煙も上から見ましたが、

飛行機も当然、離れた距離を保たなければなりません。

その頃、携帯電話を持ってたか思い出せませんが、持っていたとしても写さなかったと思います。

避難を余儀なくされた住民を思うと胸が痛くて写せなかったと思います。

さらにその前には、大島の噴火もありました。全島民を避難させる為、

島の周りを救出の船が取り囲んだあの📺光景がいまだ脳裏に残っています。

私の同級生も嫁いだ先でした。

犬猫たちを乗せた船にも偶然乗り合わせましたが、取り残された動物もいっぱいいたでしょう。

東京から帰る際には全国から集まった動物救済の獣医さんたちの姿がありました。

離れ小島の不便性はこういう時に出ますね。どの島も緊急時の対策を練っておく必要があります。

 

 

 

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