大賀郷地区、旧役場跡のすぐ近くにこんもりとした丘のような小さな山があります。
八丈富士の側火山(スコリア丘)だそうで、噴火口もあるらしいですよ。
戦争中は軍の司令部もあったようですがその名残もあるようです。
南方の硫黄島方面から東京への砲撃に備えて八丈島も重要な守備地点だったようです。
目に余るような大きな被害は避けられたようですが戦争中の遺構はいまだかすかに残っています。
ふだんは鬱蒼としていますが、
年に一度、金土川地域の自治体の方々がきれいに整備してくれます。
たしか、夏の始まり、島の各神社の秋祭りの先陣を切って、
以前はここで無料接待のおもてなしをにぎやかに執り行なっていました。
人口減少に伴い、また、コロナウィルスなどのパンデミック等もあり、
最近はお祭りごとを縮小して、ひっそりと静かに佇んでいます。
右道路・向かい側を眺めるように、以前は青銅でできた胸像が設置されていました。
向かい側には昔、八丈島練乳株式会社(森永乳業)の工場があって、
島の畜産・乳製品事業に尽力された方の像がありました。
地産の牛乳やバター作り、私の父母の時代が最盛期だったかもしれません。
私も小学生のころだったか、工場内を見学した記憶があります。
時代が変わり、広々とした跡地が残っているだけです。
その胸像がいつのまにか撤去されて、菊池義郎先生の立像がありました。
八丈島出身の衆議院議員さんです。
中学校の修学旅行で、国会議事堂の中を案内してくれたのがこの方だったと思います。
あの頃の議員さんはまだ戦後の余波が残っていて、とてつもなく熱血漢がいたような気がします。
この護神山公園には他に災害かなにかの慰霊碑などもいくつかあるようですね。
玉石垣を上がると「島酒の碑」があります。
焼酎を入れておく素焼きのかめ壺です。熟成させて芳醇な香りにさせるそうですよ。
薩摩出身の流人、丹宗庄右衛門がさつま芋から作る焼酎製造法を伝えたとされ、
島の名産となり、流人文化として今に伝えられています。
盛んな時にはいくつもの製造販売業者がいましたが、
時代の流れとともにさつま芋を作る人も少なくなり、いくつかの店も閉めてしまって、
後継者の問題もあって今後の島焼酎の存続が危ぶまれてきているところです。
玉石垣の階段を上がって鳥居の先を進むと、
さらに勾配の急な階段が続いていて、上のほうに神社の社がお祭りされています。
見た目にも傾斜がすごすぎて危険なので、無理な登頂はやめて下でお参りしましょう。
天照皇大神宮、金毘羅様、為朝神社、稲荷神社などなどがお祭りされているようですよ。
この玉石、崩れないようにセメントで固めているところと固めてないところがあります。
うっかりすると大雨で土が掘り返されて崩れるかもしれませんので十分に気を付けましょう。
一周できるようになっていてところどころに休憩椅子がありますが、
遊歩道の足元は木の根っこが浮き出ていたりして、
つまずくと崖下に転げ落ちそうになるので注意が必要です。
地域の人の清掃したばかりか、草むらの治まる冬の季節に回ってみるといいかもしれません。
途中、コンクリートの構造物などありますが、どうも水道タンクや軍事跡などらしいです。
ひとりで歩くとちょっとこわいかもしれません。(*'▽')
すぐ近くの旧町役場跡地は新しくなったばかりの町営バスの駐車場です。
建物も新しくなって、ここが観光バスの案内所になっていて、出発地点になります。
左隣りには観光協会の建物もありますのでパンフレットもあり、いろいろ聞いてみて下さいね。
我が家から歩いて5分の所です。
きょうも爽やかないい天気だぁ~
<注意>
三根地区にも「護神」(ごしん)と呼ばれる場所がありますが、
そちらは「大神宮」(だいじんぐう)とも呼ばれ、同じく天照皇大神様などをお祀りしています。
グーグルマップ等でご確認ください。